ときめきスタイル社 店長Sの『東京彷徨かわら版』

Since1991年。たたかう古着屋『ときめきスタイル社』店長(社主)Sによる情報発信ブログです。雑誌掲載コラム、スタイリングの数々。そしてファッション及び服飾雑貨に関する考察などを掲載しております。

『震災』、『うた』、そして、『桜』。

 桜満開の今日この頃、遅ればせながら新年初回のブログである。昨年暮れの最終回では、新年からは週一更新云々と、殊勝な抱負を述べたけど、もともと締め切りに対する呑気な性格は変わりようもなく、いただいた皆さんからのお便りに、遅い年賀状を兼ねて返信出し終えたその後は、1カ月ばかり諸国をさすらっていたのである。  旅行中の3月11日、異国の地の、ホテルのテレビから次々と繰り出されるCNNニュース、東北を襲う天災、惨状に我が目を疑い、親しき人々、縁ある者、そしてお便りいただいた読者諸氏、福島のRちゃん、宮城のGくん、修学旅行で来店以来、ときめきスタイル社の大常連だった岩手のTちゃん等々に連絡を取り、みんなの無事を確認、3月21日、関空着。長男としての我が務め、大阪で春の仏事を取り行って、東京には4月初頭に戻ってきた。  扉をあけて、懐かしき香りに満ちた我が小部屋に足踏み入れた途端、目に飛び込んできた光景は、背丈を超える大型書棚が僕のデスクめがけて崩壊し、棚から吹っ飛んだラジカセは、いつもの椅子の上、座っていたであろう我が頭上あたりで玉砕していた。今、PCに向かい静かにキーを叩いているけれど、もし東京在宅デスクワーク中ならば、僕とて状況が大きく傾いていたかもしれぬのである。  さて、大阪滞在中は、ほとんどテレビを見て過ごした。各局ニュースにドキュメンタリーの類、ACのユニークな作品群、そして歌番組である。 そんな中、突如次々とたちあらわれる歌手たちを見て、どうにもやり場のない違和感を感じてしまったのは僕だけやろか。  「歌で元気づけてあげたい。」「私が今できることは、心をこめて歌うことです!」中には、女神降臨、御神託まがいのお言葉を発する者、はたまた「悩める者たちへ!」とギターかき鳴らし絶叫する者まで出てくる始末で、「さあ、感動せい!そう、ここや、ここで泣け!」とばかり高らかにビブラートを利かせ、目を潤ませて、そんな人たちのことを昨今では“アーティスト”と呼ぶらしい。ホントに届いていることやろか、僕はテレビを眺めながら季節外れの寒波に震えていたのである。  某、東西8チャンネル局の企画した特別番組。出演者自ら志願したわけではなく、趣旨に合いそうな歌を局の制作サイドが物色し、それを歌ってるところの“アーティスト”を急遽招集したものであり、一堂に会したそのアーチストたち、自らの意志とは関係なく、企画書通りの曲をディレクターの指示通り、決められた時間通りに披露していた。  そんな中、与えられた他者の曲であるところの『上を向いて歩こう』にもかかわらず、今という時と場を認識し、極めて独創的な歌として自ら解釈、聞かせてくれたのはトップバッターの坂本冬実くらいのものである。 “アーチスト“なるところの、その他の集団とは一線を画し、歌手であることを生業とする“芸能”人としての矜持が感じられ、それは優れた指揮者、演奏家が数百年前のクラシック音楽を、新たな価値を持った作品として提示する創造的作業と同じレベルのものである。  そしてこの坂本のみが、皆さん勢揃い、ラストの大合唱でもぶれることのなかった唯一の人であると僕には見受けられた。(僕は決して彼女のファンではない。持ち歌すら、ろくに知らない。)  そしてエレカシ、ミヤジはMCでのドモリ具合も演出じみて切れがなく、出なかったらよかったのにな、と思って見ていたら、エンデイングの大団円でしっかり自己修正してくれた。さすが自ら腑に落ちなかったのだろう。  また、高音域から低音域まで安定した歌唱力を披露した平原綾香。『ジュピター』(吉元由美 作詞)で見せつけたその素晴らしき力量疑うべくもなく、5年前の中越地震の時より繰り返しリピートされ、被災者応援ソングとして、ことあるごとに頻繁に登場、よくよく耳にするけれど、その2番の歌詞、「意味のないことなど起こりはしない」という一行には、僕はどうしても大きな違和感を感じてしまうのである。  この世に突如降りかかる様々な理不尽。通り魔殺人、薬物殺傷、ひき逃げ事故、そんな人災ですら意味など見出すすべもなく、いわんや地震津波の天災おや。これらのものに無理やり意味づけを試みるのは後出し専門の占い師の所業であり、意味もなく愛しき笑顔が突如消え去り、当たり前の生活が崩壊し、描いていた未来が打ち砕かれ、路頭に迷う現実の前で、かような歌詞を熱唱高吟、みんな頑張れ!と言われても。  歌についての思い出をひとつ。今ではこんな享楽的な僕やけど、その昔、異様にストイックだった時期があり、 それは“歌”というものが全く受け付けられないときでもあったのだ。  思えば青春後期の高三、浪人から大学一年にかけてのころであり、僕にとって音楽と言えばベートーベンであり、それも、『弦楽四重奏曲15番』と『クロイツェル』さえあれば、と繰り返し、今から思うとかなりの硬直状態だったみたいけれど、そんな時たまたま入った町の喫茶店、コーヒー付きナポリタンランチを食べながら、店内の有線放送から流れてきた二代目コメットさんの主題歌、大場久美子が歌うところの『キラキラ星あげる』、その詞と音程外れまくりの歌声にドスンとヤラれ、自分でもわけがわからぬままその場で崩れ落ちた。その“うた”は僕と季節をともにし、そして、いつしか去っていった。去ったことすら僕に気付かせなかった。僕は力を取り戻し、そして一歩、踏み出していたのである。  「歌は歌のないところから聞こえてくる」と言ったのは早川義夫やけど、さよう、歌は上から与え給われるものではないのである。 さて、新年第一回目ということもあり、一曲アップします。思えば去年も、ちょうど桜の時期に曲をブログに載せていたけれど、まあ、気が向けば聞いてみてください。   『ジュピター』  2003年5月発売のアルバム『AVE MARIA』より   作詞 岩谷時子  作曲 ホルスト組曲「惑星」第4曲より)    歌手 本田美奈子 (2005年11月6日、白血病のため永眠。享年38                   歳。合掌)
画像
桜満開、千鳥が淵にて。 それでは又!