ときめきスタイル社 店長Sの『東京彷徨かわら版』

Since1991年。たたかう古着屋『ときめきスタイル社』店長(社主)Sによる情報発信ブログです。雑誌掲載コラム、スタイリングの数々。そしてファッション及び服飾雑貨に関する考察などを掲載しております。

『雅姫』さま、『長峰菜穂子展』、『和田麻美子展』、『ときめき煽動ビラ』、『CUTiE』その他色々。

さて、午前中は三軒茶屋のティップネスで、筋トレとランを少々。

その後、ダイニングテーブルと食器を物色に、バスを乗り継ぎ自由が丘と目黒の街へ。

先ずは自由が丘この街は、雑貨とケーキと、上品おばはんと居酒屋『金田』の街。

しょっぱな『IDEE』の旗艦店をちらりと流す。工業系ジェルデのランプのをメジャーインテリアに昇華させた立役者。家具はというと、オリジナルデザイン面白いのに、なんでリアル50‘sの中古家具なんかも同時に置いてるのかな。双方がくすんでしまうと思うねけど。

その他、セルジュ・ムーユのシーリングライトが秀逸で、まるで這いつくばったクモの脚。ぜひともほしいが、天井高3メートル以上ないと様にならず、部屋も15畳以上は必要か、で却下とする。

その後、『Cloth & Cross』 にて陶芸作家「長峰菜穂子展」。

まったり、ヌメっとした質感の白磁が趣深く、焼きサンマ用の皿がほしくてのぞいてみたけど、尾っぽがはみ出るサイズしかなく今回は見送ることとする。会場に作家さん本人が来ているはずやねけど、店内ごった返し、どの人やろか、さっぱり見当つかず。 なぜなら店員お客を含め店にいる人たち、みんながみんなナチュリラ、リンネル、LEEな人たちだからで、そう、この店はご存知、ライフスタイル界の大目利き、雅姫サマの店である。 カントリーあみんチックな店内に、ヒゲずらのおっさん僕一人、まるで異物のように紛れ込んでの物探しやけど、とても丁寧な接客で、う、見習いたいものである。

 

さて、次に目指すは目黒の街で、権現坂を下ったあたり、大鳥神社から始まる家具屋通り。 先ずは旭川手作り家具の『柿ノ木坂 匠』で、ちっちゃなスツールを一脚注文する。玄関に置いて、ブーツの紐縛り用である。 その後『maruse』にて、陶芸作家「和田麻美子展」。

チョイとスモーキーなブルーの発色に引かれ、ランプシェードを購入。

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          最大径16㎝ほど。

さて、どこに吊るそかいな。 ここでは作家氏はすぐにわかったね。展示スペースの真ん中にちょこんと腰かけておられたたからで、ほんとチョコンという表現がよく似合う、とても小柄な女性である。『大芸』出身らしく、ふと懐かし。ときめき創業初期には大芸の学生たちを10人ばかり従えて、僻地(失礼)南河内の大学構内で、当局に無断でビラ撒きを決行したものである。

意外や意外、音楽学科の上品お嬢が、結構来てくれた思い出が。(注1)

しかし、僕にとっては先程の、長峰氏の出身校『ムサビ』のほうが大いに懐かしく、なぜなら学生時代、僕のガールフレンドが通って学校だからで(注2)、そして『ときめき』の常連のRちゃんが通っていた学校だからで、確かID専攻、東京から実家の広島に帰省するたびに大阪で途中下車、というか、夜行バスで大阪入りして常光寺の階段で弁当広げながら僕の登場を待ち伏せしてくれていたものである。元気にしてることやろか。

 

ま、そんなこんなで、それでは又!!

 

注1)この時撒いた、僕の手書きガリ版刷りのアジビラが、後ほどそのままの形で『CUTIE』(宝島社)に掲載された。これを見てノコノコと店に来てしまい、ときめき教に洗脳されてしもたコも多かったんちゃうやろか。

 

「いまだにビトン、ボデコンのお姉さまも、ハクライもんにしか頼るところのないイタイタしいイタリアン兄ちゃんも、一人では街を歩けないスケーター、記号でしかファッションを語れないびんテージ小僧も一回来てみ!新たな信仰に目覚める。平成の大天才、ビンボーの男“S”がおくる、キソーテンガイ、チープシック着こなしパラダイス。感性が合わなければハテナ?、合えば店に入ったとたんに踊りだす、そんな不思議なお店です。ミナミの100軒よりも八尾の『ときめき』!!」(原文ママ)

 

注2)当時僕は、都心部にある大学の文学部の一年生やったけど、秋を迎えたころ、ふと思うところがあり、ムサビと同じく国分寺の、それも駅から徒歩30分の雑木林の中で隠遁生活をおくっていた。ひと冬この庵にこもったあと、春の訪れとともに、陽光あふれる吉祥寺へと転進したのである。